
AI記事要約
コロプラには現在、4人のパラアスリートが所属しています。
競技も違う、置かれている環境もそれぞれ異なる4人。
彼らに共通しているのは、「現状に満足せず、恐れずに一歩を踏み出す」という姿勢——
そして、コロプラが大切にしてきた「挑戦する文化」と響き合う生き方です。
それぞれの舞台で今まさに走り続けている4人に、2026年現在の「挑戦」を語っていただきました。
■宮食行次(ゴールボール)
「できないこと」より「今できること」へ目を向ける

2026年6月、中国・杭州で開催された「IBSAゴールボール世界選手権」。
宮食行次選手は副キャプテンの重責を担い、パリパラリンピックに続く快進撃を期して、ロサンゼルス大会への切符をかけた戦いに挑みました。
しかし、最終結果は惜しくも4位。出場権獲得まで残り1勝という悔しい結末ではありましたが、日本男子として世界選手権では史上最高順位を更新しました。
再び頂点を目指すべく、その視線はすでに次なる予選へと向けられています。
宮食選手は、視野が少しずつ狭くなっていく進行性の視覚障害「網膜色素変性症」を抱えています。「いつか見えなくなってしまうかもしれない」という日常生活の不安のなかでも、彼を支えている明確な人生の指針があります。
それは、
「『できないこと』『できなくなること』に目を向けるのではなく、『今できること』そして『これからできる可能性』に目を向けたい」
という想いです。
かつては視力を失う恐怖からネガティブな感情に支配されていた時期もありました。
しかし、ゴールボールという競技に出会い、同じ障害を持ちながらも前向きに生きるチームメイトたちと接する中で、障害に対する見方が大きく変わったと言います。
「自分を変えてくれたバトンを、次に繋いでいく存在になりたい」
それこそが宮食選手の原動力となっています。
誰も成し遂げたことがないことをやりたい

宮食選手が競技を始めた頃、ゴールボール男子日本代表はパラリンピックへの自力出場経験すらありませんでした。しかし彼は周囲にこう宣言します。「自分が日本代表のエースになって、金メダルを取る」。その当時は鼻で笑われ、「無理だ」と言われたこともあったそうです。
しかし、自分を信じて全ての時間を競技に捧げた結果、アジア選手権初優勝、ワールドゲームズ初優勝など着々と実績を伸ばし、そしてパラリンピック初自力出場を果たすと、ついには2024年パリ大会で悲願の金メダルを獲得するという大偉業を達成しました。
しかし、世界のトップという最高の景色を見た決勝戦の夜、彼はすでに「過去に連覇した国はあるのか」を調べていました。
次なるターゲットは、20年以上達成されていない「連覇」、そして「3連覇」です。
2028年に開催されるロサンゼルスパラリンピックという大舞台で、ディフェンディングチャンピオンとして再び頂点に立つため、世界が注目する宮食選手の飽くなき挑戦は、新たな高みへと続いていきます。
赤石竜我(車いすバスケットボール)
自分が日本を勝たせる

赤石竜我選手が車いすの生活となったのは、5歳の時。
「ホプキンス症候群」により脊椎を損傷し、下半身不随となりました。
リハビリを担当していた理学療法士から車いすバスケットボールを紹介されたことが、競技との出会いでした。
現在は日本を離れ、車いすバスケットボールの強豪国であるドイツに身を置いています。
この海外リーグ挑戦という大きな決断の裏には、パリパラリンピックのアジア・オセアニア予選で歴史的大敗をし、出場権を失うという強烈な挫折がありました。
当時日本代表の主力としてコートに立っていた赤石選手は、重い責任を感じると同時に「このままではいけない。いつまでも先輩たちに甘えていられない。自分が日本を勝たせる。」という強い使命感を抱きます。
過去にヨーロッパの高いレベルに押しつぶされ、結果を残せずに帰国した日本人選手の例も知っていたため、海外挑戦によるリスクを考え、これまで踏み切れずにいたものの、パリ大会の切符を逃したことで覚悟が決まりました。
自ら退路を断ち、自分を追い込むように地元・埼玉の所属チームを辞め、日本よりもはるかにレベルの高いヨーロッパ・ドイツへの移籍を決断します。
この挑戦の先に、自分の思い描いた未来がある。それを信じて続けるのみ

実際にドイツでプレーしてみると、「言葉の壁」、「プレースタイルの違い」、そして圧倒的なレベルの高さを目の当たりにします。
高い壁の前で思い通りの結果が出ずに焦りを感じる日もある中、それでも「同じことを繰り返せば、同じ結果しか出ない」という信念のもと、歩みを止めません。
「この挑戦の先に、自分の思い描いた未来があることを信じて挑戦し続けるのみ」と力強く語ります。
そんな彼の挑戦は、後に続く日本人選手たちにもヨーロッパ参戦という新たな波を生み出しています。
今季から複数の日本人選手がヨーロッパリーグへ参戦し、異国の地で日本人同士が切磋琢磨する環境が生まれてきています。
自らの現在地を確認し、疑い、恐れずに慣れ親しんだ環境から抜け出すこと。
未踏の地で壁にぶつかりながらも、決して歩みを止めない赤石選手の覚悟が、道を切り拓く先駆者として新しい流れをつくり始めています。
柳本あまね(車いすバスケットボール)
「目標を立てるだけでなく、 実際に行動して挑戦しなければ意味がない」

柳本あまね選手が車いすの生活となったのは2歳の時。原因不明の病気により下肢機能障害となりました。
様々な検査の結果「多発性神経炎」と診断されたものの、 原因も治療法もわからないまま。
そんな柳本選手が車いすバスケットボールと出会い、16歳で史上最年少の日本代表入りを果たすほどの選手へと成長していきます。しかし順調に見えたキャリアにも、 大きな挫折の瞬間がありました。
2015年、リオ2016パラリンピックの予選大会で日本代表入りを逃した時、彼女は競技をやめようとまで考えたと言います。
「あんな思いは、もう二度としたくない」その悔しさが、彼女を変えました。
くじけそうな時も、その言葉を胸に踏ん張り続けた結果、 東京・パリと2大会連続でパラリンピックに出場。パリ大会では司令塔としてチームを率いました。
「目標を立てるだけでなく、 実際に行動して挑戦しなければ意味がない」
講演活動でもこの言葉を伝える柳本選手は、 自らその言葉を体現し続けています。
目標や挑戦がある限り、人生は楽しい

アスリートとしてより強い選手になるため車いすバスケができる環境を求めての転職、あえて男子チームへ所属する決断。
さらに日々のトレーニング負荷を見直し、自らを追い込む日々など、現状に満足することなくストイックに競技と向き合っている柳本選手。
常に自分をアップデートし続ける彼女は、今新たに「海外挑戦」を実現しています。
オーストラリア代表の選手からの声がけを受け、オーストラリアリーグへの参加が実現。
昨年準優勝を果たした強豪「Sydney Uni Lions」の一員として、コートに立ちました。
初戦は1勝2敗という結果でしたが、「自分の仕事はある程度全うできた。でも、まだまだやれる」と前を向きます。次の渡航は7月——挑戦は、まだまだ続きます。
「最後に決断して、挑戦して成功させられるのは、家族でも友達でもなく『自分自身』」
やりたいことは、感情や環境によって変わっていく。
大切なのは、その時々の自分が「やる」と決めることなのだ、と。
目標や挑戦がある限り、人生は楽しい。そして悩んでいる時間はもったいない。
「ここに気づけたら勝ち!あとはやるだけ!」
そのポジティブで力強いメッセージは、新しい一歩を踏み出す私たちの迷いも吹き飛ばし、背中を力強く押してくれます。
藤原由衣(視覚障害者柔道)
やる気に頼らない。気持ちはあとからついてくる

藤原由衣選手が「網膜色素変性症」の診断を受けたのは、20歳の時でした。
それまで目が悪いという自覚はありましたが、先天的な視覚障害とは思っておらず、視力が徐々に低下する中、眼科での精密検査を経て、その事実を知ることとなります。
その後社会人として働いていた藤原選手は、東京パラリンピックが開催されることを知り、パラ柔道という競技に興味を持ちます。
小学3年生から続けてきた柔道を高校で「やり切った」と感じて引退し、しばらく畳から離れていた藤原選手が再び競技を志したのは25歳の時。
「視覚障害があっても、柔道ができる」「もっと自分を高めたい」——その想いが、7年のブランクを超えさせました。
努力は実り、夢だった東京パラリンピック代表の座を手に入れます。しかしそこに訪れる新型コロナウイルスの世界的流行。
2021年に出場した試合は、コロナ禍での過酷なトレーニング環境、開催されるかどうかという不安のなかでも決して挫けず、積み上げてきたものが結実した舞台でした。
「あの時期に自分と闘い続けたことが、選手としてのターニングポイントだった」と語ります。その経験が、彼女の挑戦への哲学を形づくっています。
「やる気に頼らない。気持ちはあとからついてくる」
向き不向きより、前向き

2025年11月に開催された「第40回全日本視覚障害者柔道大会」。
決勝は延長戦にもつれ込む死闘となりましたが、最後は惜しくも反則負けで、準優勝という結果に終わりました。
負けられない戦いでの惜敗。しかしここでも藤原選手はただ下を向くことはありませんでした。
体力が消耗する後半でも「勝ちにこだわる」執念を見せ、日頃から磨いてきた大技「袖釣り込み腰」を本番で仕掛けられたことを「大きな収穫」と捉えています。
悔しさを経て、2026年に掲げた挑戦が「未知の環境に飛び込むこと」です。
様々な道場への積極的な出稽古、ウエイトトレーニング内容の刷新——どんな相手にも、どんな環境にも適応できる力を日々積み上げています。
いよいよ7月からはLA2028パラリンピックへ向けたポイント争いが本格化します。
パリ大会を逃した悔しさを胸に「次こそ」という強い意志が、日々の練習を支えています。
そして10月に愛知・名古屋で開催されるアジアパラ競技大会も、明確に照準に入れています。
「向き不向きより、前向き」
日々を支えてくれる仲間や関係者への感謝を原動力に、藤原選手は自分自身をアップデートし続けています。
「挑戦」がもたらす勇気のバトン
四者四様にアプローチこそ違えど、4人に共通しているのは、「できない理由」より「できる可能性」を探し、恐れずに一歩を踏み出す姿勢です。
彼らの競技へのひたむきな姿勢は、私たち一人ひとりの日常における「挑戦」にも、力強い勇気のバトンを渡してくれています。
コロプラは、「スポーツというエンターテインメントを通じて、人々に感動と勇気を届ける」という想いのもと、限界に挑むパラアスリートたちの挑戦に全力で伴走し続けています。
彼らが体現する「挑戦」の姿勢は、スポーツの枠を超え誰もが自分らしく活躍できる社会をつくる力になると同時に、『挑戦することの意味』を問いかけてくれます。
コロプラアスリート紹介

コロプラでは、今後もスポーツというエンターテインメントを通じて多くの人々に感動を届けるアスリートたちが、安心して競技に打ち込める環境を提供するとともに、障がいの有無に関わらず、どんな人々でも活躍する共生社会の実現を目指し、ダイバーシティの推進に向けて積極的に取り組んでいきます。
現在所属する4名の現役アスリートたちの活動や実績を紹介する特設ページにて、スポーツに取り組む姿勢や生い立ちも掲載しております。
こちらも併せてご覧ください。
https://colopl.co.jp/colopl_athletes/


